こんにちは。文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家の小園隆文です。
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今日は【ドイツ・フランス・イタリア三国史】シリーズになります。
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東フランク王国では、コンラート一世が王国のために私情を排して政敵に王位継承し、919年ザクセン家のハインリヒ一世が即位。ザクセン朝が始まります。
ハインリヒ一世は以後、これまでフランク王国で慣習的に行われてきた分割相続をやめ、長子への一括相続とすることを決めます。これまで王国が拡大しては分割相続によって弱体化するを繰り返してきたので、これは画期的なことです。慣習として多くの人に根付いていることを変えるのには、大きな勇気がいります。個人レベルの何となく惰性でやってしまっている行動でも、長年の家の習慣を変えるでも、会社の社風を変えるでも、そういうこと一つとっても変えようとすると、大なり小なりの抵抗に遭う。経験があるのではないでしょうか。
一方の外政では、マジャール人やスラヴ人といった東方からの異民族侵入を撃退して、ひとまずの小康状態を得ます。もっとも東フランク王国、そして後のドイツもヨーロッパ大陸のほぼ中心に位置するという地理的条件は変わりませんから、この後もマジャール人やスラヴ人との戦いは続いていきます。
同じ頃、西フランク王国でもノルマン人に何度もパリが襲撃されるなど、いいようにやられています。ノルマン人は主にスカンディナヴィア半島から南下してきている部族で、自称は「ヴァイキング(入り江の民の意味)」ですが、他地域の人からは「ノルマン人(北の人)」と呼ばれています。スカンディナヴィアの寒風吹きすさぶ大地で鍛えられていますから、戦闘能力はとても高いです。この先の歴史では、地中海・シチリア島にまで進出していきます。
さて、このノルマン人の度重なる侵入に耐えかねた、西フランク王のシャルル三世・単純王。戦っても勝てそうもないので、ノルマン人の首領・ロロと取引をします。「略奪をやめてくれるなら、土地を与えよう」。ロロはこの条件を受け入れて、現在の北フランスに領地を得ます。これが今でも残る「ノルマンディ(ノルマン人の土地)」です。
しかしシャルル三世は失政続きで、諸侯は不満たらたら。そこで諸侯たちが前国王ウードの弟をロベール一世(922~23)として対立国王に選出します。そのロベール一世とシャルル三世が923年、ソワソンで激突。この戦いでロベール一世は戦死してしまいますが、その息子のユーグも父について参加しており、父の仇を取ってシャルル三世に勝利します。
このユーグが軍事だけではなく、政治の面でも傑物でした。以後はパリ伯はじめ各地の諸侯や修道院を傘下に収めていきます。それだけの実力があるのですから、諸侯からも当然「あなたが王に」と声をかけられますが、本人は固辞し続けます。「自分は王になるよりも、その王を後ろから支える」方がいい。いやこれはきれいごと過ぎますか。「王を背後から操る」方がいい。と言ったかどうかは定かではありませんが、自分では王にならず、それでも事実上の最高実力者。考えようによって利口です。なまじっか王になって面倒なことや責任を押し付けられて消耗するよりは、黒幕として裏から表の国王を操った方が大物感も出ますし。人はこのユーグを「大ユーグ」と呼びます。ユーグはロベール家の人ですが、もう少し経つと、このロベール家がフランスの史上で大きな役割を果たすようになります。
その頃イタリア半島では、相変わらずベレンガーリオ一世が混乱の渦中にいます。単独王にはなったものの、ここでもマジャール人の侵入に負け続きで、諸侯はプロヴァンス王のルイを国王に擁立します。しかしベレンガーリオ一世はこのルイに二度にわたって勝ち、915年には西ローマ皇帝への即位が認められます。
しかしベレンガーリオ一世がよほど人望がないのか、諸侯がただ「反対することだけが目的の野党」と一緒なのか、今度はブルグント王ルドルフを対立国王に擁立されます。その両者が922年に戦ってルドルフが勝利し、そして924年ベレンガーリオ一世は部下に暗殺されてしまいます。何度も負けてはその都度、不死鳥のように復活してきたベレンガーリオ一世の強運も、さすがにここで尽きました。
さてルドルフ、イタリア語ではルドルフォ二世としてイタリア王に即位(922~926)。一方、西ローマ皇帝位は962年まで空位となります。しかしイタリア王の地位というのは、反対派を立てられるのが日常茶飯事です。今度のルドルフォ二世も、フランスのポゾン家ユーグを対立国王に立てられます。
しかしルドルフォ二世はそれほどイタリアに執着していなかったのか、こんな面倒な土地はさっさと去ろうとでも思ったのか、ユーグより低地ブルゴーニュ公国を譲り受ける条件でユーグに譲位。イタリアから撤退します。そのユーグがイタリア名ではウーゴとして即位します(926~946)。
今回は嵐の前の静けさ、ということでここまでといたします。歴史の流れにも個人の人生と一緒で、激動の時もあれば単調な日々もあります。どちらもあっての歴史であり、人生です。共通しているのは、カロリング家の血筋が各国で途絶え始めて、それに代わる新しい流れが作り出そうとされている過渡期、ということです。
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