今日もサッカーEURO2020に絡めた記事を投稿します。今回は先日6月16日に行われた、フィンランドVSロシアの試合に絡めて、両国の歴史について少し触れます。
ロシアについては、「世界一面積が広い国」ということや、日本と歴史的にも色々ありましたので、それなりに知っている方が多いでしょう。一方でフィンランドについては、「ムーミンの国」という以外に、その歴史について知っている方は、やはり少ないのが現実ではないでしょうか。
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主に西暦1000年以降、フィンランドは隣国スウェーデンの影響も下、キリスト教に改宗したり、スウェーデン王の支配下にある期間が長く続きました。その後、1600年代頃からロシアが国力を増してくると、スウェーデンとロシアの間で獲ったり獲られたり、ということが続きます。そしてフランス革命・ナポレオン戦争以後は、「フィンランド大公国」となりますが、その大公にはロシア皇帝が就き、事実上ロシアの支配下に。
そして20世紀に入って1917年、ロシア革命で帝政が崩壊すると、フィンランド人の間に独立機運が高まり、同年独立を果たします。その後、ボリシェヴィキの介入もありますが、各国から義勇兵の協力もあって、1919年、第一次世界大戦の戦後処理をするヴェルサイユ会議で、正式に独立が認められます。
1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発すると、ソ連はドイツとの密約に基づいてバルト三国、さらにフィンランドにも侵攻します。国力は圧倒的にソ連の方でしたが、スターリンが粛清により優秀な将校を処刑してしまい、さらにはフィンランドはマンネルヘイム将軍の指揮の下に勇敢に戦い、互角以上の戦いをして世界の称賛を浴びますが、やはり最後には国力差がものを言って、ソ連が勝利し、領土の一部を割譲させられます。
1941年、ドイツは不可侵条約を破ってソ連に侵攻。これを見てフィンランドは、積年の恨みを晴らすため、ドイツに協力して兵や物資を供給します。ところが1945年、ドイツの敗戦により、第二次世界大戦は終結。ドイツに協力したフィンランドも、戦勝国となったソ連から戦争犯罪を問われます。
しかしここでフィンランドは、ドイツに協力した当時の政府要人や、一部の高級軍人を辞めさせるなどはしたものの、ソ連の圧力に屈して自国人を「戦争犯罪人」として裁くことはしませんでした。そもそも、日本やドイツの場合もそうですが、この第二次世界大戦での「戦争犯罪人」というのは、後から作った法律によって、勝った側が負けた側を一方的に裁こうという、無理極まりないものです。ナチスドイツによる計画的なユダヤ人抹殺などは、到底許されるものではありませんが、それ以外の「戦争を始める」という国家の政策については、まず「戦争をする権利」についてはその是非はひとまず置いて、独立国家に国際法で認められている権利であります。そしてその時の各国の政府が、自国が置かれている状況などから、その全ての権限と責任において決定したことであり、それ自体については、外国が勝手に裁くことは許されません。
この当時のフィンランド政府は、自国と自国民を守るためにソ連と戦うことを決定したのであり、それをフィンランド国民が「正しかった、いや間違っていた」と自国の政府に物申すのはいいですが、他国がこの時のフィンランド政府の決定を、「戦争犯罪」として裁くのはお門違いです。そしてフィンランド国民は、この時の政府や軍人を「A級戦犯」として貶めるようなこともしませんでした。同様のことは、日本の「戦争犯罪」として近隣諸国が行ってくることや、それに対しての日本人の対応についても言えますが、それはまた別の機会に。
戦後のフィンランドは、「フィンランド化」と呼ばれる独自の中立政策で、ソ連とアメリカ・西側諸国の間を生き伸び、現在では他の北欧諸国と並んで、高福祉国家として一人当たりのGDPも高く、小さいながらも豊かさを感じている国民が多い国となっています。長年の怨敵ロシアとも、まずまずの関係を維持しています。
今回は、フィンランドとロシアの複雑な歴史、そして小国ながらなかなか骨太な気概を見せてきた、フィンランドという国について書いてみました。
最後までブログを読んでいただき、ありがとうございました。
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