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ヴァイキングの子孫・デンマーク

執筆者の写真: 小園隆文小園隆文

こんにちは。「日本人のための世界史作家」小園隆文です。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。


サッカーEURO2020は、7月11日にイタリアとイングランドによる決勝戦を残すのみとなりました。今日は7月7日に行われた準決勝、イングランドVSデンマークに絡めて。



今でこそ、ドイツの北にある小国となっているデンマークですが、その昔はスカンジナビア半島と一緒に、ヴァイキングの国として、ヨーロッパ各地に進出していった歴史があります。ちなみにヴァイキングというのは、「VIK(入り江)+ING(人)➾入り江の人、民」という意味の、自分たちを自称して読んだ名称で、他の地域の人たちは「ノルマン人(北方の人)」と呼んでいました。


今のデンマークに住んでいたヴァイキングまたはノルマン人たちは、主に今のブリテン島、北フランス、スペインといった地域に進出していきました。その中で、ブリテン島に渡ったスヴェンというデンマークの王が、ブリテン島の諸部族を征服して、ブリテン島の王にも即位します。さらにその息子のクヌートという人が、ブリテン島のみならず、今のノルウェーやスウェーデンの辺りも征服して、「北海帝国」と呼ばれるまでに発展させます。もっとも期間は1028年~35年とわずか7年でしたが。


一方、北フランスの地には、やはりデンマークから移ってきたヴァイキングまたはノルマン人が領地を持ち、「ノルマンディー(ノルマン人の地)」を築きます。この地のヴァイキングまたはノルマン人たちは、いつしかフランス語を話すようになって現地に土着化していましたが、その領主ギヨーム一世が相続争いに勝って、1066年、イングランド王ウィリアム一世として即位します。これは「ノルマン・コンクエスト」(ノルマン人の征服)と呼ばれています。


つまりイギリス王室というのは、元をたどればフランスから渡ってきたフランス人。もっと大元をたどれば、デンマークから北フランスに移ってきたヴァイキングまたはノルマン人またはデンマーク人?という複雑な流れを持っています。


その後のデンマークですが、1397年にマルグレーテという王女を中心とした、複雑な関係を基盤としてカルマル同盟というものを築き、現在のデンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランドの一部が、同じ国王を戴く同じ国だったことがあります。これがそのまま発展していけば、結構な大国としてヨーロッパ史でも相当な重きを成したと思われますが、1523年にスウェーデン、1814年にノルウェーが同盟から離れて、デンマークは今のような小国になります。一番の有名人は、童話作家のアンデルセンでしょうか。また他の北欧諸国と一緒で、高負担高福祉の国として有名です。


イングランド、イギリスのことは度々耳にするでしょうが、デンマークのような小国の歴史は、こういうタイミングでもないとなかなか知ることもないでしょう。


今日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。


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​小園 隆文 こぞの たかふみ

日本人のための世界史作家

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