こんにちは。「日本人のための世界史作家」小園隆文です。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
東京オリンピックの開催が、三日後に迫ってきました。開催にまつわる様々な問題、またコロナ禍における開催につきましては賛否両論、皆さまそれぞれに意見がおありでしょうが、今回のブログでは、過去の東京五輪について振り返りたいと思います。
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◎(幻の)一回目 1940年
1935年のIOC総会で、ローマ(イタリア)、ヘルシンキ(フィンランド)との招致合戦が激化。ムッソリーニに直談判してローマの立候補を次の1944年にする約束を得ますが、ムッソリーニの気が変わって、ローマは1940年開催の立候補を強行。決定は翌36年の総会にまで持ち越されますが、その間イタリアはエチオピアで戦争を始めてオリンピックどころではなくなり、東京開催支持に。ヘルシンキとの決選投票に勝って、「史上初の欧米以外での開催」しかも紀元二千六百年という年の記念行事となるはずでしたが、支那事変の泥沼化により開催権を返上。ヨーロッパでもすでに第二次世界大戦が始まっており、オリンピック自体が中止。戦争の影響を大きく受けました。
◎二回目 1964年
1959年の総会で、デトロイト(アメリカ)、ウィーン(オーストリア)、ブリュッセル(ベルギー)との決選投票に勝って決定。正真正銘のアジア初開催のオリンピック。バレーボールの「東洋の魔女」、マラソンの円谷選手やアベベ選手、柔道のヘーシンク選手など、後々まで語り継がれる名場面も多く、戦後の焼け野原からわずか二十年足らずでこのような大会を開催できるまでに復興した、日本の底力を世界に見せる大会となりました。またこの当時は、東西分断国家となっていたドイツは、「東西統一選手団」として参加。メダル授与の際の国旗は、東西両ドイツの旗。国歌はなんとベートーヴェンの『第九交響曲』が使用されていました。これはこれで何とも贅沢な話です。
◎三回目 2021年
2013年の総会で、イスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)との決選投票に勝って決定。当時は「オ・モ・テ・ナ・シ」が流行語になりましたが、今や当時のお祭りムードは本当に皆無。本来ならば2020年の開催予定が、ご承知の通り、コロナ禍によって一年延期されての開催に。
諸問題あり、議論百出しておりますが、開催される以上は参加選手、関係者、そして開催地となる東京都民や各地の皆様が健康に安全に、終われることを祈念しております。
今日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。
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