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今回のブログでは、『日本人のための世界史』とは?ということを、書かせていただきます。
私はよく「日本史は好きだけど、世界史は…」とか、「世界史はやたらとカタカナの長ったらしい名前が出てくるので、それで挫折した」ということを聞きます。
なぜ、多くの人が世界史に対して、このような感想を抱いてしまうのか?
私が感じるに、多くの方は
「日本史のはるか上の方に世界史という、別物の歴史がある」
というように、遥か上の方を見上げて、
「世界史なんて自分が住んでいる日本とは全く別世界のことで、自分には関係ないや」
と思われているのではないでしょうか?
それは、大成功している経営者や富豪の方々を見て、「あ~、自分とは全然住んでいる世界が違う人たちね」と思うのと、同じ感覚で。
確かに、「世界のトップ○○%の大富豪」と呼ばれる人たちに対しては、私も同じような感覚を抱くことがあります。自分がそういう人たちの仲間入りできるということは、全く想像もできません。
ですが、日本史と世界史の関係ということになると、少し考えが違います。それは
「日本史と世界史は、異次元にある全くの別物」ではなくて、
「日本史も世界史の一部。日本も世界の一部」ということです。
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鎖国していた江戸時代であれば、世界のことを知らなくても、暮らしていくことは可能でした。ですが、現代はそうではありません。現に、昨年2020年から世界中を見舞っている新型コロナウイルスの猛威にしたって、これは何も日本だけで起きていることではありません。「今日は新たに○○人が感染」という、毎日のニュースで流れていることが、日本だけではなく、アメリカでもヨーロッパでも、アフリカでもインドでも南米でもアジアでも、世界中で発生しています。
このこと一つを取ってみても、「日本史とは世界史は別物」なんてことは言っていられません。まさに現在進行形で、「日本史は世界史の一部としてあり続けている」と言えます。好むと好まざるとに関わらず、日本と日本人は今まさに、「世界中と歴史を共有している」と言えます。
私は「日本人のための世界史作家」として、日本を世界を仰ぎ見る位置ではなく、世界を平行に眺める立ち位置に置き、世界史の中で日本の個性を理解する。それによって、日本を好きになることができる世界史というものを構築していくために、作品執筆、歴史講座の運営、自分史動画・出版の制作、ということを手掛けています。
人は他人との関わりを通して、自分の特性や個性を受け容れ、磨き、そして自分を認めていくものだと思います。そして自分を好きになるのに、他人をこき下ろしたり、貶める必要はありません。ただ自分が自分の特性や個性、そして自分そのものを受け容れ、好きになればいいだけです。
それと同じで、日本と日本史の個性・特性は、世界史の視点から観ることによって、より一層はっきりします。そして日本人が日本のことを好きになる、健全な愛国心を持つには、他国のことを見下したり、攻撃的になる必要はありません。ただ日本人が「日本の国が好き」と感じるだけでいいのです。
ですが、特に戦後の歴史教育では、日本人が健全な愛国心を持つことすら許されない、むしろ愛国心はおろか、「日本のことを好きになってはいけない」という強迫観念のようなものを植え付ける教育が行われてきました。
私は「日本人のための世界史作家」として、「日本史を世界史の一部として観て、世界史のことを楽しみながら、日本の個性を理解し、受け入れ、好きになれる」ような作品や講座を、これからも世に出していきます。
このブログは、主に時事ネタを中心に週二回~三回ほどのペースで投稿していく予定です。お時間のある時に、読んでいただければと思います。
どうぞ、気楽に末永くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
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