こんにちは。「日本人のための世界史作家」小園隆文です。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
一昨日の7月14日は、「フランス革命」(1789年)の記念日になります。当のフランスでは、単に「パリ祭」とか、単に「Le Quatorze Juillet ル・カトルズ ・ジュイェ 7月14日」と呼んでいたりもします。
フランス人にとっては、「自由・平等・友愛」という現在の建国理念の元となった栄光の歴史、と声高に叫べるような単純なものではなく、「自分たちの王様をギロチンにかけて殺してしまった」後ろめたさも少なからずあるようで、時には我が国の栄光として自慢げに語ることもあれば、時には忘れてしまいたい黒歴史、出来れば臭いものには蓋をしてしまいたい過去でもあるという、複雑な歴史的事件であるようです。
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実際、1789年の革命の後、フランスは何度も革命やクーデタで、国体がコロコロ変わります。表示されている絵画、一度は目にされたことがあるのではないでしょうか。ドラクロワという画家が描いた『民衆を導く自由の女神』という作品ですが、この作品、1789年の革命の模様を描いたもの、と思われている方が多いようですが、実はこれは1830年7月に起きた、七月革命を描いたものです。大革命以後のフランスの国体の変遷ぶりを時系列で記してみます。
第一共和政(1792~99)➾第一帝政(1799~1814)ナポレオン・ボナパルト➾復古王政(1814~30)ブルボン朝➾七月王政(1830~48)➾第二共和政(1848~52)➾第二帝政(1852~70)ナポレオン三世➾第三共和政(1871~1945)➾第四共和政(1945~58)➾第五共和政(1958~)
このように共和政・王政・帝政と、目まぐるしく政体が変わっています。基本的にフランス人というのは、自己主張が強い人たちの集まりですので、共和政のように「みんなで話し合って」というような体制ですと議論百出して、しかもそれぞれが妥協しないので、話が全然まとまらず、政治が一切進まない、ということが何度もあります。第一から第四の共和政時代は、まさにそんな時代でした。ですからそれが行き詰まると、ナポレオン・ボナパルトやその甥のナポレオン三世のようなカリスマ性のある人物が出てきて皇帝になったり、または王様を連れもどしたりしなければならなくなります。
それに業を煮やしたシャルル・ド・ゴールという、第二次世界大戦時の救国の英雄が、「大統領に皇帝のような強い権限を持たせた」のが、現在の第五共和政で、これは何とか今日まで続いております。その間も色々ありますが…。
こういうフランスの歴史を見てみると、皇室が連綿と続く国体を持つ日本がどれだけ幸せな国か、ということを改めて強く思います。
今日も最後まで、ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
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