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【裏・大河ドラマ】家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史  ⑧カンブレー同盟戦争 第二局 昨日の敵は今日の友、そしてまたすぐ敵…。

執筆者の写真: 小園隆文小園隆文

こんにちは。


繋善言轂 よきことつなぐこしき 

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文 です。


今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。



【裏・大河ドラマ】ブログ 家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史。


前回のブログでは、「カンブレー同盟戦争」が勃発。その第一の局面である同盟国vsヴェネツィア共和国の戦い、ヴェネツィアが孤軍奮闘空しくローマ教皇ユリウス二世と屈辱の和平を締結、までを書きました。

 

フランスの協力を得てヴェネツィアを懲らしめたユリウス二世。しかし今度は、そのフランスがあまりに強すぎたことに警戒心を強くします。「フランス王ルイ(十二世)はイタリアを支配するつもりではないのか?」そんな疑念を強くするユリウス二世は、次にフランスをどうにかして懲らしめる手立て・策略を張り巡らします。その折、ユリウス二世と教皇領内のフェラーラ公が、塩の専売権を巡って対立します。フェラーラ公はフランスの同盟国。そしてヴェネツィアとも対立しています。この情勢にユリウス二世、ヴェネツィアに同盟手結を打診。ヴェネツィア側も教皇のことなどまるで信用していませんが、「ともかく今の国際的孤立から抜け出せるなら」と、二つ返事で了承。ここに「教皇・ヴェネツィア同盟」が成立。


しかし、ついこの前まで角突き合わせていた両者の同盟は、案の定というかうまく機能せず、各地で強力なフランス軍に連戦連敗。これに業を煮やしたユリウス二世は、さらに同盟相手をスペイン・神聖ローマ帝国・イングランドにまで増やして、その名も「神聖同盟」と変わります(1511年)。目的は全く申請ではありませんが、ローマ教皇が同盟に絡むと、その対面?のために「神聖」と冠される同盟が数多くあります。


その神聖同盟軍とフランス軍、1512年4月11日に「ラヴェンナの戦い」で激突。この戦いは、将軍ガストン・ド・フォアの采配もあって、フランス軍が圧勝。しかしその将軍フォアが戦死してしまったため、勝ったにもかかわらずフランス軍はボローニャに撤退。これで形勢が逆転し、フランス軍はユリウス二世が投入した、当時最強ともいえるスイス人傭兵軍に苦戦を強いられ、敗戦と撤退を繰り返します。そして同年8月には、ルイ十二世がせっかく奪取したミラノ公国を、神聖同盟軍に奪われます。新しいミラノ公には、ルイ十二世が追放したルドヴィーコ・スフォルツァの息子、マッシミリアーノが即位します。


しかし共通の敵フランスを打ち破った途端、神聖同盟軍は利害が対立し始めます。これもまた、歴史上の同盟あるあるです。まずミラノ公に関して、神聖ローマ皇帝・マクシミリアン一世とスペイン王フェルナンド二世は、それぞれが自分の息のかかった人物を据えようとして教皇・ヴェネツィアと対立します。さらに皇帝・マクシミリアン一世は、ヴェネツィアがこの戦争で奪還した領土を、「その領土は元々は帝国領である」と言い出して、帝国への返還を要求。ヴェネツィアとの対立がより一層先鋭化します。そして教皇ユリウス二世もまた、フランスという共通の巨大な敵がひとまずいなくなると、またもやヴェネツィアのことが目障りになってきます。教皇とヴェネツィアとの間の問題は、ただその場しのぎの同盟だけで解決するものではなく、教皇領に対してヴェネツィアが領土的野心を捨ててはいないことを、ユリウス二世は見抜いています。そんな教皇ユリウス二世の本心を察した皇帝・マクシミリアン一世はユリウス二世に接近し、教皇もこれに応えて再度、対ヴェネツィア同盟たる「カンブレー同盟」を復活。


これにヴェネツィアは再び教皇と袂を分かち、今度はやはりついこの前まで角突き合わせていたフランス王ルイ十二世に接近。両者はブロワ条約(1513年)によって、北イタリアを両者で分割することを取り決めます。


昨日の友は今日の敵、敵の敵は味方。言い方は色々ありますが、わずか数か月の間に同盟相手がころころ変わり、情勢は複雑怪奇そのもの。ここで一度、「カンブレー同盟戦争」に入ってからの対立構図を整理しておきましょう。


1508年~10年 

【カンブレー同盟】ローマ教皇・フランス・神聖ローマ帝国 vs ヴェネツィア共和国


1510年~11年

【教皇・ヴェネツィア同盟】ローマ教皇・ヴェネツィア共和国 vs フランス・フェラーラ公国


1511年~13年

【神聖同盟】ローマ教皇・ヴェネツィア共和国・神聖ローマ帝国・スペイン・イングランド vs フランス・フェラーラ公国


1513年~16年

再度【カンブレー同盟】ローマ教皇・ミラノ公国・神聖ローマ帝国・スペイン・イングランド vs フランス・ヴェネツィア共和国・フェラーラ公国・スコットランド・フェラーラ公国


遂にはフランスを北から攻撃させるためにイングランドが【カンブレー同盟】に、、そのイングランドをさらに北から攻撃させるためにスコットランドがフランス側に、という地政学的要件も加わっての双方の同盟拡大となりました。複雑ではありますが、これがヨーロッパ史そして世界史の醍醐味。この諸国の外交・同盟・軍事の攻防と興亡を知っておくと、日ごろの人間関係から仕事の采配、遂には国の外交の行く末までをも見通す力が力が高まります。


そしてこの再結成された【カンブレー同盟】の諸国(実質は教皇とミラノ)と、それに対抗するフランス・ヴェネツィアが北イタリアの覇権を賭けて相まみえることとなりますが…。


この続きは次回のブログで。


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


繋善言轂 よきことつなぐこしき

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文


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​小園 隆文 こぞの たかふみ

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