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【裏・大河ドラマ】家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史  ⑲二人の女王の熾烈な争い。そしてヨーロッパはやっとこさ…

執筆者の写真: 小園隆文小園隆文

セシルほどの名宰相を持つ君主は、私以外にはいないだろう

(エリザベス一世。自身の治世を支えた宰相ウィリアム・セシルを評して)


画像 レパントの海戦(1571年)


こんにちは。


繋善言轂 よきことつなぐこしき 

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文 です。


今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。



【裏・大河ドラマ】ブログ 家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史。


時代は1570年代に入ります。本編大河ドラマの主人公・徳川家康は、元亀元年(1570)、織田信長と連合軍を組んで、浅井長政・朝倉影健との姉川の戦いに臨んでいます。


国内がいまだ安定しない中で、さらにメアリ・ステュアートという「火種」を抱え込むことになった、イングランド女王エリザベス一世。イングランドのカトリック強硬派は、「隙あらば」エリザベスの命を狙い、再びイングランドをカトリックの国へ、という野心を捨てていません。そこにメアリ・ステュアートという、格好の「御輿」がやって来ましたから、にわかに勢いづきます。彼らはメアリ・ステュアートと、国内の有力貴族ノーフォーク公爵を結婚させて、メアリ・ステュアートをイングランド女王に据える反乱計画を練ります。


特に北部の諸侯が中心となったため、「北部諸侯の反乱」と呼ばれる事件がこうして起きますが、宰相ウィリアム・セシルが張り巡らせた諜報網によって事前に察知されたことと、諸侯たちがまとまりを欠いていたこともあって、国王軍がやってくる前に散り散りになってしまい、反乱と呼ぶのもお粗末な形で終結します(1569年)。


翌1570年、ローマ教皇ピウス五世は、教皇勅書を発し、エリザベス一世を「イングランド女王を僭称し、犯罪の僕であるエリザベス」として弾劾。エリザベス一世を破門処分とします。ここまでエリザベス一世はの宗教政策は、「中道」と呼べるものでした。自身はプロテスタントでしたが、カトリックのことも黙認する穏健なもので、エリザベス一世が優先したのは、一にも二にも国内の安定でした。そのせいもあって、カトリック信者でも女王を支持する者が多く、先の「北部諸侯の反乱」にも、多くの大多数のカトリック信者は否定的でした。しかし教皇によるこの破門によって、エリザベス一世はもはや退路を塞がれる形となりました。この破門はイングランドを完全にプロテスタント側に追いやり、エリザベス一世は国内では融和政策を採りつつも、国外ではネーデルラントやフランスのプロテスタント支援に力を入れていくようになります。


一方で、国内のカトリック強硬派はこれに勢いづいて、エリザベス一世打倒への陰謀をさらにくすぶらせ続けます。そしてもっと悪いことには、御輿に担がれるメアリ・ステュアートも、亡命中で囚われの身であるという自身の立場をわきまえずに、これらのはっきり言うと実現性のない杜撰な反乱計画にのめり込んでいったことです。


1571年、フィレンツェの銀行家リドルフィがイングランドにやって来て、メアリ・ステュアートと接触。リドルフィはローマ教皇やスペイン王フェリペ二世の支援の下に、メアリ・ステュアートをイングランド女王に就けるために暗躍します。しかしこのリドルフィの動きも、宰相セシルの諜報網でしっかりと掴まれており、リドルフィがスペインに向かって出国した後、ノーフォーク公は関与を疑われて、哀れ処刑。メアリ・ステュアート、こうなってくると関わる人にことごとく災いをもたらす疫病神ともいえますが、本人はその自覚もなく、この後も再三にわたってエリザベス暗殺計画に余計な首を突っ込んでいきます。


さてメアリ・ステュアートが頼りにするのも、エリザベス一世が最も恐れるのも、この時のヨーロッパ最強国・スペイン。しかしそのスペインも、あくまで覇権を握っているのはヨーロッパ世界だけの内輪のこと。この時のヨーロッパはいまだ世界の片田舎。世界規模で観れば、イスラム・インド・中華といった、ヨーロッパよりも先進の文明地帯はがあります。


その中でもヨーロッパに最も近く、そして近いが故に幾度も戦ったり、交流してきたのがイスラム圏。そのイスラム圏で覇権を握っているのが、オスマン・トルコ帝国。イスラム圏どころか、コンスタンチノープルを陥落(1453年)させて以後はバルカン半島~ヨーロッパへと進出し、ハンガリーまでを支配下に。ハプスブルク家の牙城ウィーンも包囲(1529年)して、あと一押しで陥落というところまで攻め込み、ヨーロッパ中を震撼させたオスマン・トルコ帝国。壮麗王と呼ばれたスレイマン一世は、皇帝カール五世とは幾度も戦い、フランス王フランソワ一世は対ハプスブルク家・カール五世のために、このイスラムのスルタンと手を結び、ドイツのプロテスタント諸侯は対オスマンでの協力をネタに、帝国内での権利を皇帝に認めさせるなど、ヨーロッパの政治情勢にも大きく影響力を発揮しているオスマン・トルコ帝国。


そのオスマン・トルコ帝国が1570年、ヴェネツィア共和国配下のキプロス島を占領します。これを受けてローマ教皇ピウス五世が対オスマン「神聖同盟」の結成を呼びかけ。主にスペインとヴェネツィアはじめとしたイタリア諸都市国家が参集して、連合軍を結成。その総指揮官には、フェリペ二世の義弟ドン・フアン・デ・アウストリアが就きます。「義弟」と書きましたがこの人、かつてカール五世がドイツ訪問時に、当地で寵愛していたバルバラ・ブロムベルクという女性との間に生まれた子です(1547年)。この母バルバラは貴族とも商人の娘とも諸説あって出自は定かではありませんが、ちょっとだらしない女性であったらしく、母親として甚だ心もとない人だったので、カール五世により母と引き離されてスペインに連れていかれ、以後スペインで育ちます。1560年、フェリペ二世により「庶子の弟」として認知され、聖職に進むよう言われますが、本人は軍人を志願。スペイン国内の反乱鎮圧に実績を挙げ、此度の大抜擢となりました。


開戦の名前に付けられている「レパント」とは、地中海東岸地方を指す呼称で、実際に両軍のなったのは、現ギリシャのイオニア海に面したバトラ湾、現在の都市名ではナフパクトス(ギリシャ)の付近です。戦闘に参加したのは、神聖同盟側が約300隻、オスマン側は約290隻。ほぼ互角の大艦隊同士の激突です。戦いの日は1571年10月7日。正午ごろ、風向きが変わってオスマン艦隊が帆を下ろす隙を突いて、神聖同盟側が砲撃を開始して、戦いに火ぶたが切って落とされます。激戦が続きましたが、神聖同盟側の艦船の多くは射撃に有利なように衝角が短くされていたため、戦いが進むにつれて火力(火縄銃)の差が出始め、最終的には神聖同盟側が圧勝。ヨーロッパ側の軍隊がオスマン軍にここまで圧勝するのは初めてのことでしたので、勝利の報が伝えられた時には、ヨーロッパの各地で教会の鐘の音が鳴り響いたとされます。


この戦いには、有名な文学作品『ドン・キホーテ』の著者ミゲル・セルバンテスも参戦して、左手に負傷を負いました。戦場となったナフパクトスには、そのセルバンテスの銅像が建っております。


この大勝利で一躍、キリスト教世界の英雄となったドン・フアン・デ・アウストリア。この状況を見て、これまで息子に全く関心を示さなかった母バルバラは、急に母親面して「私の息子よ!」と自慢し始め、「様々な支援」の要請が入ったり、スペインに年金の給付要請をしたりなどし始めたようです。一族の有名人に群がる、恥ずかしい大人の典型例です。


またドン・フアン・デ・アウストリアも、このレパントの海戦の勝利が、この人の人生のピークだったようで、その後は義兄のフェリペ二世とあまりしっくり行かなくなります。源頼朝と義経の関係と似ています。ネーデルラント総督に就任(1576年)します。そして本人も熱望して、メアリ・ステュアートとの結婚も決まり、さあこれから!という時でしたが…。二年後の1578年に、チフスに罹って31歳の若さで死去します。やはりメアリ・ステュアート、疫病神です。


このレパントの戦いの勝利は、ヨーロッパ側にとっては初めての大勝利で、さも歴史的な一戦のように謳っていますが、オスマン・トルコ帝国はすぐに海軍を立て直し、その後も地中海の制海権を握り続けます。オスマン側からすれば「たまたま負けちまった…」ぐらいの感覚で、まだまだヨーロッパなどなんとも思っていません。それが世界の現実でした…。



今回はここまでで。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


繋善言轂 よきことつなぐこしき

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文



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​小園 隆文 こぞの たかふみ

日本人のための世界史作家

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