「It is an Irish question(それはアイルランド問題だ)」
(イギリス人が、「それはとても難しいことだ」ということを比喩的に言う際の表現)
こんにちは。
繋善言轂 よきことつなぐこしき
文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家
小園隆文 です。
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【裏・大河ドラマ】ブログ 家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史。
「とんぼ返り」、すなわちカトリックへの改宗という、これまでの四度の改宗とは比べ物にならないほどの一大決断を下したアンリ四世(1593年7月25日)。さらに翌1594年2月27日、シャルトル大聖堂において国王戴冠式を決行。伝統的な慣習としてはランスの大聖堂で行われるのですが、この時ランスは旧教同盟の支配下にあったため、臨機応変の対応。
この戴冠式では、聖職者が新国王の身体の各部に聖油を塗ります。この塗油の儀式によってフランス国王は、「神通力を帯びる」とされてきました。歴代のフランス国王はこの儀式の後、様々な病を抱える人々の患部を、その「神通力を帯びた」手で直接触れることによって、その病を癒してあげる、ということをしてきました。「治す」のではありません、「癒す」のです。中には本当に「国王が触れてくれたおかげで、傷が、病が治った!」という人もいた(ようです)。本当にそういう人もいたでしょうし、いわゆる「さくら」もいたかもしれません。もちろん、それだけでは快復しなかった人もいるでしょう。信じる信じないは人それぞれですが、この儀式で大事なことは、「神通力を帯びた(とされる)フランス国王が、苦しむ人々のその苦しみを、直接触れて癒してあげる」という行為そのものです。この行為をすることによって、フランス人は新しいフランス国王を国王として受け容れるのです。宗教というものが、現代よりもはるかに生活の中で大きな比重を占めていた時代においては、これはとても大事なことでした。
この「とんぼ返り」によって多くのパリ市民も、アンリ四世を迎え入れる方向に傾きます。パリの有力者たちも続々と「アンリ四世支持」を表明。そして1594年3月22日、遂に念願のパリ入城を果たします。これまで幾度も攻めても落とせなかったパリ。頑強な抵抗を続け、一時は独自の国王を担ぎ上げ一歩手前まで行った王都パリが、アンリ四世の「とんぼ返り」一つで、いとも簡単に城門を新国王に開きました。やはり故アンリ三世が進言した通り、「国王はカトリックでなければ、フランスは治まらない」のです。アンリ四世がなおも自らの信仰であるユグノーに固執し続けていたら?流れる血はもっと多かったでしょう。
パリがアンリ四世を迎え入れたことで、その他の地方都市も続々と新国王に恭順し始めました。「とんぼ返り」の威力たるや、恐るべしです。それでもまだいくつかの都市では、旧教同盟の残党が抵抗を続けています。ユグノー戦争はかなり先が見えてきましたが、まだ完全終結というわけにはいきません。旧教同盟の背後にいるのはスペイン。アンリ四世がカトリックに改宗しても、なお敵対を続けます。ということは、対スペイン関係について言えば、もはや問題はカトリック対ユグノー(プロテスタント)という信仰の問題ではなくなっていました。フランスが国土の東西を、ハプスブルク家のスペインと神聖ローマ帝国(ドイツ)に挟まれていいるという脅威がある限り、両者の対立が消えてなくなることはありません。宗教ではなく、政治の問題です。
旧教同盟はスペインが、フェリペ二世が支援し続ける限り、アンリ四世への抵抗を止める気配はありません。ではどうするか?もう国内の、いわば雑魚を相手にいつまでも戦っていても仕方ない。ここまで来たら、一気に本丸を叩いてやれ!となってアンリ四世、1595年1月17日、スペインに宣戦布告します。目の前に現れる病の対処療法ではなく、その大元から根本的に治してしまおう、というものです。
そのフェリペ二世のスペインは、北部ネーデルラントの反乱に相変わらず悩まされ、泥沼化しています。南米の銀山から流入してくる銀は大量にありますが、それはすぐに軍事費に変わったり、ジェノヴァやフィレンツェの商人・銀行からの借り入れ金返済に充てられたりするので、スペイン国内の産業は育成されず、覇権国という割にはスペイン人はその恩恵をほとんど受けていません。フェリペ二世のスペインは、南米の銀山のおかげでそれを担保に銀行から金は借入できますが、自国で生み出す金がほとんどないため、すぐに返済に行き詰まります。そのためフェリペ二世はこれまでに三度も「破産宣告」しています。個人で言えば、自己破産。フェリペ二世の度重なる破産宣告のために、資金繰りに困って倒産したジェノヴァやフィレンツェの銀行も相当あります。そしてこの翌1596年には、四度目の破産宣告をする始末です。
同時期、イングランドのエリザベス一世は、アイルランドの反乱に手を焼いています。イギリスとアイルランドとの関係は、イギリス人が「とても難しい」ことの比喩として、「It is an Irish question(それはアイルランド問題だ)」と平気な顔しておこがましく言うほどに、複雑で難しい問題なので、ここでは要点だけ。1169年、アイルランドの内輪もめに乗じてヘンリ二世がアイルランド卿となって以降、アイルランドは事実上イングランドの属国扱いです。その間、アイルランド人の対英反乱も何度となくありましたが、その都度鎮圧されます。そしてエリザベス一世が即位して以降は、カトリック系住民の反英感情がより強まり、1594年に始まったティロン伯ヒュー・オニールという人が主導する反乱は、過去に例がないほどの激しいものとなりました。そして当然ながら、この反乱も背後でフェリペ二世のスペインが支援しています。同じカトリックということに加えて、アイルランドを再びイングランド進攻の拠点にする、という目論見もあります。このアイルランド問題は、この後も長きに渡ってくすぶり続け、イギリスと対立するヨーロッパ大陸の支配者たち、ルイ十四世、ナポレオン、ヒトラーなどがイギリス攻略の際に突いていく「イギリスのアキレス腱」となります。
内戦、反乱、破産。このように三者三様の問題を抱えながら、互いに駆け引きを繰り広げる「西・仏・英 西欧三国志」、フェリペ二世、エリザベス一世、アンリ四世。今後の展開は…?
本編大河ドラマの主人公・徳川家康、ちょうどこの頃は新たな領地となった江戸の開発に大わらわ、というところでしょうか。当然ながら1590年代の江戸、その後に世界有数の大都市に発展することなど全く想像もできない、だだっ広い平野でした。
今回はここまでで。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
繋善言轂 よきことつなぐこしき
文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家
小園隆文
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