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【裏・大河ドラマ】家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史    ㉘役者は揃った!正念場を迎える西欧三国志 

執筆者の写真: 小園隆文小園隆文

「余はとんぼ返りを打つことにする」

(フランス国王アンリ四世 愛人ガブリエル・デストレへ宛てた手紙の中で)


画像(右から時計回りに)

スペイン国王フェリペ二世 フランス国王アンリ四世 イングランド女王エリザベス一世


こんにちは。


繋善言轂 よきことつなぐこしき 

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文 です。

今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。



【裏・大河ドラマ】ブログ 家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史。


フランスでは国王アンリ三世が死去し、ヴァロワ朝が断絶。ブルボン家のナヴァール王アンリがアンリ四世として即位し、ここからフランスではブルボン朝の世となります。


しかしアンリ四世の信仰はユグノー、つまりプロテスタント。カトリックが多数派を占めるフランスにおいては、手続き上は問題なくても、心情的にはそう簡単にプロテスタントの新国王を受け入れることは、簡単ではありません。特に王都パリにおいては。


どこの国の内乱でもそうですが、その首都を獲らなければ、最終的な勝利者とはなれません。フランスにおいては特にそれが顕著です。どんなに地方都市を押さえようが、王都パリを獲らなければ、アンリ四世は「王国なき国王」のままです。フランスでは今も昔も、パリが一番重要なのです。


そのパリは、相変わらずカトリック同盟の牙城。がっちりと固めています。そしてアンリ四世の叔父、ブルボン枢機卿シャルルを「シャルル十世」として擁立し、アンリ四世に対抗します。しかし当初から高齢でその先行きが不安視されていた「シャルル十世」、あっけなく死去(1590年)。ここでスペイン国王フェリペ二世が、「自分の娘イサベルはどうか?」とカトリック同盟に提案。イサベル王女の母は王妃エリザベート。亡きアンリ三世の姉。血筋として問題はありませんが、フランスにはサリカ法によって「国王は男子のみ」という慣習があります。それに何よりもこの案を受け入れたら、文字通りフランスはスペインの属国と化すこと間違いなしです。


このフェリペ二世の提案に関係なく、アンリ四世は即位当初から各地で戦い続けています。ロワーヌ川沿いのトゥールに拠点を置きながら、ノルマンディを中心に連戦連勝。1590年5月からは、満を持してのパリ攻囲作戦。しかしスペインの援助を背にするカトリック同盟側も頑強に抵抗し、パリはなかなか陥落しません。ならばと一度パリ攻囲を解いて、再度周辺を攻略して、スペインの支援路を遮断し、パリそのものを孤立させる作戦に切り換え。パリへの物資供給が滞れば、そこから市民がカトリック同盟に対して反乱を起こし、開城に動くことを期待。


それでもなお、カトリック同盟の抵抗は続きます。既述の通り、カトリック同盟の背後にはスペイン国王フェリペ二世。対するアンリ四世にはイングランド女王エリザベス一世からの支援があります。これまでフェリペ二世、エリザベス一世に比べてフランス国王がいまいち小粒な感が否めませんでした。しかしここにアンリ四世という、後に「大王」の異名で呼ばれる国王が登場したことで、ようやく役者が揃った感があります。フェリペ二世、エリザベス一世、そしてアンリ四世。正真正銘の「西・仏・英 西欧三国志」、そしてここからが正念場です。


しかしエリザベス一世が送る支援軍、残念ながらアンリ四世の役にはほとんど立たず。イングランドそしてイギリスは基本的に海軍の国です。それに対して陸軍は、さほど強くありません。もちろん歴史上で例外的な時期もありますが、海軍に比べると陸軍は影が薄い感は否めません。はるか後年、プロイセンそしてドイツの鉄血宰相ビスマルクは、「イギリス陸軍などにこちらの陸軍を差し向けるまでもない。地方警察で十分」とまで言われていました。例外的な時期とは、百年戦争で活躍したエドワード黒太子、スペイン継承戦争時のマールバラ卿ジョン・チャーチル、ナポレオンをワーテルローで破ったウェリントン卿アーサー・ウェズリーぐらいでしょうか。因みにマールバラ卿ジョン・チャーチルは、第二次世界大戦時の宰相ウィンストン・チャーチルのご先祖様です。


話は戻します。戦いが止む気配はありません。攻めるアンリ四世。じっとパリを固めるカトリック同盟。アンリ四世は攻めても攻めても、そして勝っても勝っても、パリに入ることができません。繰り返しますが、パリを獲れなければ「王国なき国王」です。しかしそのパリも、その周辺でアンリ四世が勝ち続けている影響もあってか、徐々に物資の供給が途絶えがちになります。


そうした中、カトリック同盟が一手を興じます。1593年1月26日、独自で全国三部会を開催したカトリック同盟は、サリカ法典の廃止を決めます。前述したように、この法典が「フランス王は男子のみ」の根拠となっています。それを廃止するということは、女王即位に道を開く。それはすなわち、スペイン王フェリペ二世の王女イサベルをフランス女王として迎え入れるための布石…。


パリは相変わらず陥落せず。パリ市民も、プロテスタントの国王を認める気配は全くなし。そこにフェリペ二世の王女イサベルが乗り込んできたら…。ここに至ってアンリ四世、遂に腹を括って決断をします。それが1593年7月23日に書き送ったとされる、愛人ガブリエル・デストレへの手紙の中の一文、「余はとんぼ返りを打つことにする」です。


続けて「それは次の日曜日になるでしょう」とも書かれています。その「とんぼ返り」とは何か?ズバリ、「カトリックへの改宗」です。パリ市民はカトリックの王しか認めない。グズグズしていたら、フェリペ二世の王女イサベルが乗り込んでくる。そうなったらフランスは事実上、スペインの属国…。そんな最悪の事態を避けるためには、もう自分の信仰にいつまでもこだわっている場合ではない。断行すべきは「とんぼ返り」、人生で五度目の改宗。


そして1593年7月25日、アンリ四世はフランス王家の墓所があるサン・ドニ大修道院において、カトリックに改宗しました。過去四度の改宗は、幼少時に半ば強要されたり、地方領主としてのもの。それに対してこの五度目の改宗は、大国フランスの国王としての、まさに一世一代の勝負、そして国運を賭けたもの。今なら差し詰め、アメリカ大統領がイスラム教に改宗、ぐらいの超ド級の衝撃です。


そしてこのアンリ四世の、己の人生とフランスの行く末を賭けた「とんぼ返り」、一大決断が歴史を大きく変えることになります。


本編大河ドラマの主人公・徳川家康はこの時期、小田原の北条攻め、関東移封(1590年)、さらには文禄の役(1592年)。秀吉に振り回されながらも、着実に基盤固めをしていきます。



今回はここまでで。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


繋善言轂 よきことつなぐこしき

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文


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​小園 隆文 こぞの たかふみ

日本人のための世界史作家

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