こんにちは。
歴史作家の小園隆文です。写真は拙宅の仏壇です。
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今回も、私が「ご先祖様供養が大事!」と確信するに至った、私の人生での出来事を書きます。前回のブログでは、プラス面での出来事でしたが、今回はマイナス面、いわば私の黒歴史です。
「穴があったら入りたい」「出来る事なら、無かったことにしてしまいたい」
そんな出来事ですが、こういうことも伝えた方がより説得力も増すのでしょうし、私自身もこれらのことを、きちんと整理することで、次に進みやすくなりますので、少しだけ勇気を振り絞って書いてみます。ご興味があれば読み進めてください。
独立して以降の私の生活は、山あり谷ありではありましたが、何とかやってこれていました。しかしその生活は、原稿執筆と並行して、色々な交流会に出て、その後は飲み会にも顔を出して、帰宅はいつも日付が変わるほんの少し前か後、というあまり褒められたものではありませんでした。
そんな忙しい日々を送っているにも関わらず、仕事の能率や生産性は上がらず、来る月も来る月も、支払いに汲々とし、ポストに請求書が来ていないかどうか、恐々とする毎日。
そして訪れたどん底。資金繰りの関係で遂に家賃が払えなくなり、強制退去。実家にも帰るに帰れず、何とか契約できたトランクルームに荷物と共に自分の身体も押し込んで…。要はトランクルーム住まい。住所不定。事実上のホームレス。一時期などはそのトランクルームの支払いすら遅れて、数日間入ることができず、都内某所にて正真正銘のホームレス生活も経験。
しかし、本当のどん底はまだありました。あるお店でお茶しながら仕事していると、私が座っていた席の近くに、コートがかかっており、人はいない。「誰かの忘れ物かな?」と思い、店員さんに届けようかと手を伸ばしたところ、その席の主である若い女性が戻る。「忘れ物かと思って」。その場はそれで一旦終了。しかし、女性が私を見る目はどこか怪しげ。それでもしばらくその席で仕事をしていると、突如私の前に人だかり。見上げるとそこには警察官。どうやら先ほどの女性が、私の挙動を不審に思って通報した模様。いくつかの職務質問の後、「とりあえず来てもらおうか」。と、そのまま警察署に連行。
逮捕。
「何やってんだ…」。この時ほど、自分のことが情けなくなったことはありません。一週間ほど拘置所にいて釈放(ちなみに前科はついていません)。しかしながら、こういうことになったのは、全て自分の脇の甘さが原因。自分が気が付かない奥底に、良くない下心があった。それがあのコートの持主の女性には伝わったのでしょう。この女性を責める気は全くありません。
その後、世の中はコロナ禍が本格化し、トランクルームにもいられなくなった私は、どうにか頼み込んで実家にしばらくご厄介になることに。するとそこで私は大変なものを目にしてしまいました。それは…。
亡き父の位牌が誇りまみれで倒れている。
ああ、お父さん、ごめんなさい。お位牌がこんな悲惨な状態になっていたのは、全て私の責任。振り返れば、もう長きにわたって、お位牌に手を合わせるために帰ることもしなければ、お墓参りもしなかった。そしてもっとひどいことには、仕事やら何やらの忙しさにかまけている生活の中で、「私の意識の中から、お父さんの存在自体が消えていた…」。これ以上はない親不孝を、何年も続けてきた自分の不明を恥じました。
すぐさまお位牌をきちんと立て直し、これまでの不明を深くお詫びし、その日から毎日きちんと挨拶をして、お食事のお供えもするように致しました。
そうやって何とか生活が少しずつ安定を取り戻す中で、「もっときちんとご先祖様供養をさせてもらいたい」という気持ちが、沸々と湧き上がってきました。そうすると、こんな自分にも何とか入居の契約を結んでもらえる物件と大家さんに巡り合うことができて、そこに引っ越し。その新居で、知人の勧めもあって、お仏壇やお位牌も用意して、よりきちんとご先祖様供養を始めることができました。
ご先祖様供養を始めて以降は、私の生活もだいぶ安定しました。何よりお部屋にお仏壇がどっしりと鎮座されている光景は、何とも言いようのない安心感を、私に与えてくれました。それと共に、「ご先祖様のためにきちんとした生き方をしよう」「ご先祖様を哀しませるような生き方はしない」という気持ちも強くなりました。
一日単位で見ればダメダメな日もありますが、そんな日でも毎朝毎晩のご先祖様への挨拶と食事のお供えは、一日も欠かしていません。今ではこれらをしないと自分の気持ちが落ち着かないし、むしろこれらをやっている時間が一日の中で一番楽しい、と感じる時すらあります。お仕事や経済状況もまずまず安定しました。
ご先祖様供養をさせてもらえるようになって以降の私の人生、V字回復の半ば途中、といったところです。「✓」のマークを左右反対にしたぐらい、までの所には来ているでしょうか。ご先祖様供養を始めたらいきなりミリオネアになった!などと、そんなきれいごとを言うつもりはありません。ただ本当に、心の底から実感していることがあります。それは、
ご先祖様供養を始めていなかったら、今頃自分はどこかで野垂れ死にしていたかもしれない
ということです。この表現、決して大袈裟でも何でもなく、痛切に実感している、私の本音です。それぐらい、私の人生はどん底の極みにありました。間違いなく、私の人生はご先祖様供養を始めたことで、ご先祖様の見えないお見守りと、そのおかげで暖かい皆様の助力も頂くことができました。本当に「ありがとうございます」という感謝しかありません。
以上が、私が「ご先祖様供養が大事」と確信するに至った、マイナス面の出来事です。読んでいただければお分かりの通り、決して私は決して聖人君子でもありませんし、他人様に偉そうに語れるような立場でもありません。そんな私ですら、ご先祖様供養のおかげで、人生をここまで持ち直すことができました。
次回のブログでは、ご先祖様供養が日本の将来にとって今こそ大事、という思いと理由を書いていきます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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