こんにちは。
歴史作家の小園隆文です。
今日は私が最近、その意を強く持つようになった「ご先祖様供養の大事さ」について書きます。
写真 拙宅の仏壇
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私は歴史作家として、これまでに10冊以上のヨーロッパ史を中心とした著作を出しています。その私が著作活動と、自分個人の人生経験に照らし合わせて、「日本国と日本人が、その誇りを取り戻して、世界の中で(清く)図太くしぶとくしたたかに生き抜く」ための第一歩が、『ご先祖様供養』にあると確信するに至りました。
なぜ私がご先祖様供養がとても大事、と確信するに至ったか?別に私は、特定の宗門宗派の代弁者でもなければ、仏具店さんや墓石会社の広報担当でもありません。純粋に私の個人的な人生経験からお話しします。
私は東京のとある郊外の、ごくごく普通の両親の間に一人息子として生まれ、特別裕福でもありませんでしたが、さりとて特に不自由もなく育ててもらいました。当たり前ですが、両親には感謝しかありません。
高校三年生の時に父が死去。以後、母は家計をやり繰りしながら私を大学に進学させてくれました。このことは、本当に「ありがとう」という感謝の言葉しかありません。
大学卒業後は普通に就職。最初の会社には約7年勤めて、30歳の時に転職。二社目には約13年務め、42歳にして独立。以後は歴史作家として、ここまでやれてこれています。
と、これだけですと、「どこがご先祖様供養なの?」 となるでしょう。この間に起きた、私が後になって「ご先祖様供養が大切」と確信するようになった出来事、プラスとマイナスの両方をお話しします。
まずはプラス面から。私は独立するに当たって、特に計画的に事を運んだわけではありません。どちらかと言えば、行き当たりばったり。私のような経緯の独立は、間違いなく他人にはお勧めしません。そうして独立したはいいものの、当てもなく「起業セミナーの放浪」をしていた私が、気が付いたらヨーロッパ史を題材とする作品を書いていました。もちろん学生時代から歴史、特にヨーロッパ史は好きで、関連本は手当たり次第に読み、大学受験の際は偏差値の大半を世界史で稼ぐぐらいに得意かつ好きではありました。しかしそれを仕事にしよう、などとはこの時期まで全く考えたこともありません。そんな私が「気が付いたら歴史作品を書いていた」。しかもどこからか出版するという目途も全くなく。幸いにして尊い御縁から出版のお話をいただき、ここまで10冊以上の本を出すことができていますが、ここで述べたいことは、「なぜ、私が気が付いたらヨーロッパ史の作品を書いていたのか?」ということ。
本当に今振り返っても、あの時特に自分で「書くぞ!」と一念発起して、書き始めた訳ではありません。ここまでで再三書いているように、「気が付いたら書いていた」というのが嘘偽りのないところなのです。
そして後年、お部屋にお仏壇を飾って、ご先祖様供養をするようになってから、ふと気が付かされたことがあります。それは自分がこの道を進むようになったのは、「母方のお祖父さんが導いてくれたのではないか?」ということです。
私の母方のお祖父さんというのは、とある県の田舎都市で学校教育に従事された方で、学校の校長先生や教育委員長まで歴任された、地元ではかなりの名士といっていい、とても立派な方でした。そしてその傍らで郷土史の編纂もされており、その市の歴史に関する本も数点出版。今でもその市の図書館には、お祖父さんの本が並んでいます。
そのお祖父さんが「あなたはこの道に進みなさい」と、そっと見えないところから私の背中を押してくれたのでは…?ということを、ご先祖様供養をするようになってから、私はふと気が付かされました。やや精神世界めいた話になりますが、私にはそれ以外の理由がどうしても思いつかないのです。そしてこの思いは、毎日のご先祖様供養を続けていく中で、ますます強くなっていきました。
当然のことのながら、私は両親が結婚して、母のお腹から生まれました。そして父と母にもそれぞれに両親(私から見れば祖父母)がいて、同じようにそれぞれの母親のお腹から生まれ、その両親にも同じように両親(曾祖父母)がいて…。
つまりは今この瞬間、令和六年(2024年)の時代に生きている私・小園隆文という人間は、一人でありながら一人ではなく、今はこの世にいなくなったご先祖の皆様と、何か見えない線で結ばれており、人生の折々に私の背中を押したり、または通せんぼをして「そっちじゃないよ」と引き返させてくれたり、何かの気付きや閃きを与えくれたりしている。であれば、その細やかな御礼として、毎日のご先祖様供養は絶やさずきちんとさせていただこう。毎朝起きたらお仏壇に手を合わせて「おはようございます」のご挨拶。夜寝る時には「今日も一日ありがとうございました。おやすみなさい」のご挨拶。合間には細やかながらもお食事のお供え。ということを繰り返しているうちに、「今日もどこかでご先祖様が見守ってくれている」という安心感と、「何があってもこのご先祖様供養だけは続けていこう」という意思が、ますます強くなっていきました。
これが私が、「ご先祖様供養が大事」と実感するに至った、プラス面の理由です。
そして実はもう一つ、マイナス面の理由があります。こちらの理由の方は、自分で思い出すのも結構勇気がいて、それこそ「穴があったら入りたい」ほどの恥ずかしいこともあるのですが、自分がもう一歩前に進むための通過儀礼のつもりで、次回のブログにてお話しさせせていただきます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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ような、ヨーロッパの歴史本です。
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