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【裏・大河ドラマ】家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史    ㉟今なお一番人気の王、その最期はあまりに…

執筆者の写真: 小園隆文小園隆文

こんにちは。


繋善言轂 よきことつなぐこしき 

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文 です。


今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。



【裏・大河ドラマ】ブログ 家康が生きた十六世紀のヨーロッパ史。


カトリックによる布教活動と、漂着したオランダ船リーフデ号によって、徐々に関わりが出てきた17世紀の日本とヨーロッパ。そのヨーロッパ情勢に再び目を転じてみますと…。


1600年にフィレンツェの富豪メディチ家の娘マリー・ド・メディシスと結婚したフランス王アンリ四世。翌1601年、王太子ルイ(後のルイ十三世)が生まれたのを皮切りに、エリザベート(後のスペイン王妃)、クリスティーヌ(後のサヴォイア公妃)、ガストン(後のオルレアン公)、アンリエット(後のイングランド王妃)と、四人の子宝(一人は夭折)に恵まれます。


アンリ四世が取り組むべき最大の課題は、フランス王国の財政再建。アンリ四世はシュリーを財務総監に据えて、財政再建を託します。そのシュリーが手掛けたことは、農民と都市市民には減税、貴族・富裕層には増税という、相反する組み合わせ。


農民と市民には直接税とタイユ(人頭税)を引き下げ、俗に言う「民の活力を引き出す」手法。また農民にはこれに加えて家畜と耕具の差し押さえ禁止も。税金が減れば喜んでやる気が出るのは、古今東西、どこの国の民も一緒。この減税策に豊作が相次いだこともあって、フランス経済は見事に復活。


一方で貴族・富裕層への増税は、「ポーレット法」というもの。少し説明すると、中世以来のフランスの伝統とも、一面では悪習ともいえるのが、王家による「官職売買」。これは王室が外国との戦争その他で新たな税源・収入源が必要になると、官職を増発して売り出す、というもの。そしてこういった官職を買えるだけの財力があるのは、必然的に貴族や富裕な商人・市民。ある程度の財産を得た後には、「名誉」が欲しくなるのが人情というもの。そんなお互いの利害が一致して、この官職売買は時代と共に右肩上がりに増える一方。しかもこれらの増発された官職は、貴族でも富裕市民でも一度手にしたら、事実上その一家の世襲制となり、しかもその一家が資金に窮した時には勝手に転売して換金してしまうなど、私物化が目に余るようになってきました。


シュリーによる「ポーレット法」は、この官職の私物化を逆手に取ったもので、「官職の価格の60分の1を国庫に納める」ことを命じたもの。要は「私物化したければ税金を払ってからにしろ」ということです。毎年一定額を納めればあとは好き放題やり放題、ということなら、これまた喜んで払います。この一種の荒療治によってやはり国庫は潤い、財政状態は著しく再建されます。しかしこの手法はもっと後の世になると、王室にとって諸刃の剣になってくるのですが、今はざっとここまで。


そんなアンリ四世の治世は、内外に問題を抱えながらも、概ね順調に進みます。内の問題は財政再建ですが、外の問題は今も変わらず対ハプスブルク家、対スペイン。1609年、折しもスペイン領ネーデルラントの一部、クレーフェ公国で継承問題が発生し、スペインが軍を派遣してくる事態が発生しました。スペインはどういうルートで軍を派遣してくるのか?これはイタリアのジェノヴァより北イタリア~アルプス山麓~スイス~ライン川沿いを北上する、「スペイン街道」と呼ばれるルートで軍を派遣してきます。このルートはほぼ、フランスとドイツ・神聖ローマ帝国との境に沿って走っています。フランスとしては、自国の隣をスペイン軍が往ったり来たりするのは、心穏やかならぬ事態です。しかもフランスにとっては、国の東(ドイツ)と西(スペイン)をハプスブルク家に挟まれている危機は、一向に変わっていません。


アンリ四世は神聖ローマ帝国内のプロテスタント諸派による「福音同盟」への協力を表明。さらに翌1610年、その「福音同盟」側に立っての参戦を表明。「カトリックに改宗したのではないか!」と方々から批判されても、何のその。アンリ四世そしてフランスにとっては、信仰よりもハプスブルク家の脅威を取り除くことが大事。そのためならプロテスタントと組むぐらいは朝飯前です。「信仰よりも国益」です。


1610年5月13日、出征に当たってアンリ四世は、妃マリー・ド・メディシスを摂政に任命。シュリーとも留守の間のことを色々と打ち合わせをします。翌14日も政務を片付けて、いざ出陣。ルーヴル宮を出て少ししたところで、渋滞にはまって覆うの馬車は立ち往生します。その国王を乗せた馬車に忍び寄る一人の影…。その影は瞬く間に馬車に近寄り、そして馬車の扉を開けると、中にいたアンリ四世の心臓と肺をグサッと一突き!


すぐさまルーヴル宮に戻されたアンリ四世。侍医による懸命の治療に、ほんの一瞬だけ意識が戻りますが、あまりにも傷が深すぎたことが致命傷となり、そのまま絶命。ユグノー戦争を終わらせ、ひとまず戦乱のフランスに平和を回復させた、稀代の英雄・アンリ四世。56歳の生涯でした。新たな国王は王太子ルイ十三世。しかしまだ9歳と幼年の王のため、母マリー・ド・メディシスが摂政として補佐していきます。


さてアンリ四世を暗殺したのは、フランソワ・ラヴァイヤックという、修道士になり損ねた狂信的カトリック。黒膜の存在も取り沙汰されましたが、どうやら単独犯だった模様。すぐさまその場で取り押さえられ、二週間後の5月27日、クレーヴ広場で処刑が実行されます。その仕方たるや、アンリ四世への愛情の裏返しのなせる業か、とても筆舌に尽くしがたいほどの残酷なものなので、ここでは自主規制します。今でこそ「人権の国」を吹聴するフランスですが、そこまで名乗るようになる前段には、「よくそこまで…」と戦慄するような、惨たらしいことを平気でやっていた時代もありました。こういう残酷な処刑方法に、さすがに当人たちも嫌気がさしたか心が痛んだ?か、「もっと一思いに、楽に死なせてやろう」と発明されたのがギロチンですから、何と言っていいやら…。


アンリ四世は今でも、フランス人に最も人気のある国王の一人です。「西欧三国志」の一角をなしたそのアンリ四世の死去によって、フランスとヨーロッパの国際関係は、新しい時代に入ります。



今回はここまでで。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


繋善言轂 よきことつなぐこしき

文明史家・日本人のための世界史作家・生命力を高める文章家


小園隆文


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​小園 隆文 こぞの たかふみ

日本人のための世界史作家

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